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2008-09-15 Mon 00:03
悲劇と喜劇を行ったり来たり
乗せられた教授が悲劇か 乗せた女が喜劇か それとも 悲劇が滑稽で喜劇的なのか 喜劇が物悲しく悲劇的なのか 犯罪者心理の研究の為 刑務所を訪れた若き教授 サンプルとして選ばれ 自らの半生を語りだす女 持ち帰ったテープを起こす 教授に恋する秘書 ↓続きは追伸をご覧ください |
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2007-10-14 Sun 22:14
脚フェチ トリュフォー監督だけに ファニー・アルダンの美脚アングルが素晴らしい! 彼女の脚を撮るために着せたのね あの衣装 彼女の脚を見せる為に用意したのね あの事務所の窓 そんな艶やかな仕掛けが憎いばかり ↓続きは追伸をご覧ください |
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2006-08-25 Fri 00:35
この作品は
主人公の男性が死んでしまったところから始まる その葬儀へやってくる 何人もの女性達 次々に 風貌も年齢も様々 主人公は脚フェチで根暗 まったくもてそうにない男性 物語は彼が自叙伝「恋愛日記」 原題「女たらし」を書き上げるまでの 女性遍歴をさかのぼりながら 行きつ戻りつ進んでいく そしてこの暗いフランス映画は ヌーベル・バーグの代名詞とも言われる フランソワー・トリュフォーが手がけた 実はコメディ 主人公が大笑いするシーンもなければ おどけたシーンも一切ない けれどいたって滑稽 その死でさえも 狂気と変質は滑稽と紙一重 まるでそんなメッセージ それにしても何故 女性はそのさえない男性を愛してしまうのか そのさえない男性は女性を愛することができないのに そして何故 そのさえない男性は暗くて非社交的なのにも関わらず 女性に対して積極的でいられ 女性はまたその執拗で特異な誘いに屈してしまうのか そこにはまるで大前提として 女性が女性たるが所以ともいうべき 母性があり無償の愛が存在し それを無条件に求める男性の姿がある トリュフォーは1968年 アントワーヌ・ドワネルシリーズ「夜霧の恋人たち」の中で 主人公アントワーヌの友人の台詞としてこう言っている。 「セックスは死の代償だ。生きるための営みだよ。」 恋愛日記の主人公もまた 生きるための営みとして 女性そのものを追い求めているように感じた。 それにしてもトリュフォーの足フェチは いくつかの作品で顕著に表れていて面白い。 「終電車」においても 戦時中の物資不足の為手に入らないストッキングのかわりに、 女性がアイブロウでストッキングの線を書くというシーンが登場する。 またドワネルシリーズの「家庭」の中でも、 バイオリンを練習する女性の足を主人公が撫で回すシーンがある。 つまり 「女の脚と歩く姿ほど美しいものはない」 「女性の足は地球を測るコンパス」 とは、 まさにそんなトリュフォーの持論であり美学であり ある意味名言だと思う。 トリュフォーの作家性を感じる一作。 |



