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5x2 ふたりの5つの分かれ路
2006-05-28 Sun 23:13
物語は
あるカップルの
別れから始まり
出会いで終わる

ふたりの時を刻んできた
5つの出来事
5つのシーン

結果から原因へ辿る探求の物語なのか
成熟から未熟への原点回帰が意図なのか

同一人物による5つの短編を観ているかのよう

一幕 一幕 丁寧に観れば
一幕ごとに異なる
彼と彼女のそれぞれの心模様が伝わってくる

まるで誰かと別れた後
よく考えると あの時 彼は又は彼女は
きっとこんなふうに思っていたんだ・・・
そういえばあんなことがあったっけ
そうかあの時のあれか・・・気づかなかった・・・
という まさにその
こんなふう
とか
あの時のあれ
が映像化され
それらを巡るような感覚

その時はそれが精一杯だった
そう思えたなら
きっと深く観られるはず

さよならだけが人生だ
という言葉を遺した映画監督がいたと聞いた

でも さよなら は
出会わなければ始まらない

人は別れるために出会うのではなく
出会うべくして出会うもの?

人と人との間に起こる様々な出来事
そこから得る経験は
全て出会いに集約されている
そんなことを思ったりした

日常がドラマであることを気づかせてくれる
フランス映画の魅力もそのままに
オゾン監督の巧さと
5つの時代を演じ分けた主演二人の演技を堪能できる作品

公式サイト→「ふたりの5つの分かれ路」




別窓 | フランソワ・オゾン監督作品 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
L' HOMME DU TRAIN 列車に乗った男
2006-05-21 Sun 21:57
一人で観る向きの

ルコント作品の中では
すきのある

男性が観がちな

渋い映画

どうしてすきがあるように思えたのか・・・

考えてみると
男性が女性を描くと
希望や夢を乗せ 
強烈な理想として完璧なものができやすいのかもしれない

そう思うと
男性が男性を描くとき
女性が女性を描くとき
そこに描かれるのは
完璧ではなく
羨望や共感なのかもしれない
少し何かを割り引いた 

実直で 詩をたしなみ 静かに暮らす初老の元教師
無口で 拳銃を持ち歩き 鋭い視線でその日暮らしのアウトロー
2人の正反対の男性の人生が
出会い 交差する その瞬間を描いた物語

偶然の出会いから3日
ともに過ごし 
それぞれが歩んできた人生に
少しずつ
人生にはあり得ない「もし、」を感じ始める

「もし 自分の人生が彼のような人生だったら、わたしは・・・」

私には素晴らしい友達がいる
その友達は私とは似ていない
服装も髪型も性格も趣味も

似ているところは何かと聞かれて
唯一答えられることは

好きなことが同じなのではなく
嫌いなことが同じ

ということ

そして私は友達と自分との違いに
影響を受け
憧れ
時に正され 時に大いにたしなめられる

人生をすり替えたいと思うのではなく
その要素にすごく魅かれる
素敵だと思うから

私がそういう友達と出会え
仲良くし過ごしていることは
とても平和だと思う
心の平和 暮らしの平和

なぜなら 
違い を楽しめているから

私は男性ではないので
この「列車に乗った男」を
男性とはまったく違う視点で観ていたと思う

お互いが自分にないものを
無意識のうちに尊重し始め
無意識のうちに憧れ
自身の人生にも あの要素があったらよかったのかもしれない
そう素直に感じる心
少年のように
アウトローは少年に詩を教え
初老の教師はカウボーイの真似事をする

尊重し認めあう気持ちが生じれば
違いは争いにはならない
それがまったく違う生き方をし
まったく違う世代の
まったく違う価値観を持って生きてきた人間同士であっても

そう感じる作品だった









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SAY ANYTHING セイ・エニシング
2006-05-19 Fri 22:23
よくいがちな!?
もてそうにない青年が
これまたよくいがちな!?
憧れの才色兼備な女の子に
卒業式でアタック

絶対に成功しないはずが
周囲の期待を裏切って!?
彼からの卒業パーティーのお誘いを
彼女は受けることに

彼女は奨学金で留学のチャンスを掴み
新たなる一歩を踏み出そうとしている
その一方で
ジョンキューザック演じる彼は
キックボクシングに夢中で・・・
就職も進学も未定
将来の見通しも不透明

彼にどんな魅力が!?

と思ってみていると
気がつけば彼女の魅力などはどこ吹く風
彼の魅力でいっぱいの映画なのです

彼女が彼のことを
いいな って思う瞬間
多分多くの女性も同じように
いいな って思うのでは?

パーティーで はしゃいで帰る帰り道
立ち寄ったコンビにから出て歩く道
おしゃべりに夢中な彼女の足元に
割れたビンの破片が散らばっている
彼はおしゃべりを聞きながらも
すこぉしだけ立ち止まって
「危ないよ 気をつけて」といって
ガラスの破片を彼女の前から何気になくしてしまう
そして「うん、うん それで」と話を聴き続ける
そのさり気なさが
彼女の心に一点の印象を残す

純粋無垢という言葉はあまり好きではないけれど
人をきちっと受け止めることができ
人をきちっと導いてあげられる力を秘めた
強い愛情をもったそれならば
こういう小さなミラクルはあるような気がする

すっかり大人になってしまった私は
最後に二人が旅立つシーンを見ながら
爽やかに感動しつつも
きっと別れちゃうんだろうな〜などと
穿った見方をしつつも

実はきっと
彼女よりも彼が
間違いなくいい男になって
彼女の元を旅立って行くのではないかと
さらに穿った見方をし始める始末・・・

そんな期待を抱くほど
ジョンキューザック演じる
憎めないキュートな青年の笑顔に釘付けな
青春映画

*今ではあまりお目にかからない超BIGなラジカセや、80年代の流れを汲むBGMなんかも世代的にはまればとっても楽しめる、「ジョンキューの映画はたいてい面白い」説に違わない!?青春映画です。*








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センスとバランス7
2006-05-16 Tue 23:54
「ていねいに生きる」片山清司氏(観世流能楽師)
-2006年5月16日(水)京都新聞 夕刊 「現代のことば」より-

抜粋

-初めての「定家」をやり終えて思うのは、
まさに「ていねいに生きる」ことに尽きるということです。
しみじみと人に訴えかけるためにしなくてはならないのは、
人に自分の演出意図をわからせることではなく、
自分がさまざまな局面で誠実に生き抜くことしかないのではないか。
たとえ、それが現実の世界とは違う舞台の上の物語の世界であっても-

この記事を目にした時
例えば
日常の 食うための仕事に従事している人にも
充分当てはまるのではないかと思い
何度も読み返した

勿論 何のホスピタリティも持ちえず
人との関わりに頓着せず
日々業務 日々作業 と念じて働くことが可能で
それで納得ずくの人には
そもそも何ら当てはまらないことかもしれない

けれど
人に何かを伝えたい
人と関わって楽しく気持ちよく仕事をしたい
食うための仕事であってもそう思っている人であるならば
少し心に届くお話ではないかと思ってとりあげてみた

「ていねいに生きる」
その言葉自体 美しい響きだと思う
「ていねいに生きる」
その言葉の印象自体 優しい感じがする






センスとバランス7…の追伸
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SALMER FRA KJOKKENET キッチンストーリー
2006-05-05 Fri 02:16
物語の題材となったのは
1950年代
実際にスウェーデンで行われたという
独身男性・台所行動パターン調査

近代化が進む中
より機能的 より効率的なキッチンが求められていた
そこで
実際に使う人の行動パターンを知るため
主婦だけでなく
独身男性についての 
食生活台所調査 が行われたという設定

その調査員と調査対象者となった2人の中年男性
その交流を綴った
静かでユーモアのある
そしてほろりとさせられる
ヒューマンコメディ

まず調査員の務め
自家用車に小さなキャンピングカーを繋ぎ
調査対象者の自宅前まで自力で運転移動
到着後 キャンピングカーでの生活を開始

そして調査員の掟
調査対象者と会話してはならない
調査対象者と飲食を共にしてはならない
キッチンに展望台のような高椅子を配置し
そこへ座って
対象者のキッチンでの動作を克明に記録すること
尚 調査対象者の所有物を使用共有してはならない

調査対象者となった初老のイザック
実は調査に協力すると
馬がもらえる と聞いていた
けれど実際にもらえたのは
木彫りの馬一頭

キッチンに陣取り
天井ほどの高さから
無言
無表情で
イザックを観察記録する調査員のフォルケ

こんな二人が和気あいあいと過ごせるはずがない

掟を忠実に守るフォルケ
馬ももらえず日常を観察され不愉快なイザック

そんな二人の関係にちょっとした変化が

キッチンの高椅子に腰掛け
お弁当のゆで卵を食べ始めたフォルケが
「塩が欲しいな・・・」と思う
塩は目の前の棚にある
けれどそれは
調査対象者の所有物・・・
使うわけにはいかない
でも
ちょっとくらい
減ったって
気がつかないはず

そしてフォルケは
椅子から下り
イザックの塩を拝借

そこへイザックが戻ってくる
フォルケは慌てて塩をその場におき
一目散に椅子へと駆け上がる
何事もなかったかのように

イザックはちょうどその時
ゆで卵を食べようと台所へ戻ってきたのだ
考えることは同じ
「塩がほしいな・・・」
けれどいつもの定位置に塩がない
あちこち探すけれど見当たらない

そんな様子の一部始終を
高椅子から見下ろすフォルケは
たまらず
塩の場所を教えてしまう

掟が一つ
破られる

ある時
イザックがパイプにつめるタバコを切らしてしまう
その様子を高椅子から眺めていたフォルケは
愛用のタバコを投げてイザックへ差し出す

ある時
イザックはコーヒーを入れる
いつもは一客のカップが
今日はテーブルに二客
「コーヒーでもどうだい?」
「ありがとう」
フォルケは高椅子から下り
そういってコーヒーをいただく

掟がまた一つ
破られる

その間
雪にすっぽりと覆われたイザックの家と
キャンピングカー
イザックの家のキッチンの間で
言葉少なに二人の距離が
緩やかに近づいて行く

しかしそれは
フォルケにとって
掟破り ルール違反の連続だった

時を同じくして調査員となった友人が
ある晩 
アルコールを求めてフォルケのキャンピングカーのドアをノックした
友人は言う
「会話もせず何が調査だ、観察するだけで何がわかる!」
友人はそういって
真の調査にこそ掟は邪魔だと言ってのけた

その時は友人を諌めたフォルケだったが
本当の調査の意味に
彼こそが気づき始めていた時期だった

お互いのことを
すこしずつ話す
聞きたいことから
話したいことから 
そしてまた
聞きたくなり
話したくなる

お互いのことが
すこしずつ心配になる
体調はどうだろう
高椅子の眺めはどんなだろう
お誕生日はいつだったかな

お互いのことが
お互いにとって
すこしずつ
居心地のよい存在へと変わって行く

そうするとキッチンでは
食事が始まり
お酒がすすみ
コーヒーを飲むようになる
そしてそこが食卓へと変わる


流行り言葉のように
ネット・ゲーム社会においてこそ
コミュニケーション能力が重要
そう叫ばれている

企業がコミュニケーション能力を育てる為の
個人がコミュニケーション能力を養う為の
様々な取り組みやHOW TO本が書店を賑わせている

コミュニケーションはもはや能力の一つ!?
もしそうだとするならば
養うべきは手法ノウハウ・技術スキルではなく

キモチ 一つ

そう思って観賞
いやいや
観賞してそう思えた
やさしい映画だった














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LE DERNIER METRO 終電車
2006-05-04 Thu 19:21
本当に美しいものの中には
行き過ぎたものが何一つないように
カトリーヌ・ドヌーブが美しい
その理由の一つとして考えられるのは
華が在るのに過美ではない というところ

この作品は26年前の作品
どの作品のドヌーブも美しい
この作品のドヌーブも美しい

「終電車」
ドヌーブは舞台女優を演じている

ドイツ占領下のパリ
女優・マリオンは支配人兼演出家の夫・ルカの代わりに
劇場を切り盛り
夫はドイツ軍から身を守るため
国外脱出の噂を流し 
密かに劇場の地下に暮らしている

演出家である彼が
劇場の地下に潜んでいることを
劇団のメンバーも知らない

ホテルで暮らすドヌーブが
毎夜帰ったと見せかけて地下へ潜り
その日の稽古の報告をする

 観ているうちに
 ドイツ軍に見つかるんじゃない!?と
 はらはらドキドキする

新作の相手役に抜擢した俳優・ベルナール
稽古を重ねるうち
お互いを意識しあうマリオンとベルナール
マリオンは彼を遠ざけ冷静さを保とうとする

 観ているうちに
 二人の距離はどうなるの!?
 地下と地上 夫と愛人 で三角関係になってしまうの!?と
 はらはらドキドキする

劇場の命運をかけた新作は
地下から密かに稽古を見守るルカが
以前書いたことにして届けるメモをもとに演出されて行く
稽古が進むと同時に
戦火も増し
劇場への偵察 
密告者の暗躍 
新作への検閲が劇団を襲う

いよいよ幕が開き
舞台は始まりを告げる

やげてベルナールはレジスタンスへの参加を決意し
夫・ルカは地上への脱出を抑えられなくなる
女優・マリオンは芝居を成功させ 劇場と夫を守ろうと
その演技に全てをかける

とにかく滑らかで流れるように
お芝居の進行とともに
戦火の市民の息遣いとともに
物語が進んで行く

近頃の よくある戦争映画は
戦闘シーンをリアルに描き
生生しく残酷であることを赤裸々に見せる
そのリアリズムを提唱し
その映像の再現に最新鋭の技術と最大限の予算が投じられている

いろんなことを
技術的に可能にしてしまった結果
行き過ぎてしまうことが少なくないような気がする

そういうものに慣らされてしまうと
逆にいろんなことをリアルに感じられなくなってしまうのではないかと
とても怖くなる

たとえば
ドヌーブの抑えた感情表現は
大人の女性の女心を巧妙なまでに描き出していたし
「終電車」はその作品を通じて
表現の自由 人権の尊重を奪われる戦争の悲劇を
一つの劇場を通して的確に訴えていたと思う
それらはとても行き過ぎずリアルに感じられた

それでいて
上質で
洗練された
テンポのよい
美しいお芝居を観ているような映画だった

**************************

「終電車」
夜間外出禁止令が出ていたドイツ占領下のパリでは
終電車に乗り遅れると逮捕される危険が高かった
そのタイトルは「支配」の象徴であり
「自由」への渇望を意味している

私たちが
しまった・・・楽しい食事とワインに興じて
思わず!?当たり前のように逃してしまう
終電とは・・・随分違っております☆



私がレンタルしたDVDには、特典映像として
監督インタビューや未公開シーン、
その年のセザール賞(フランス版日本アカデミー賞)授賞式の映像も
収録されていました。監督賞他主演女優賞など総なめだったようです








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CHAOS 女はみんな生きている
2006-05-03 Wed 22:26
時々 こういうことがある
レンタルしたのは間違いだった・・・と
そう思いながら観ているうちに
食事も忘れて没頭

ジェットコースタードラマというと
ありえない展開 ドタバタ
飽きさせないための仕掛け満載 という感じ
でも
自分の興味自身が走り出し
それが原動力になるジェットコースタードラマもある

女はみんな生きている という邦題は
観終わった後に感じる
「女ってやっぱり精神的にたくましいよね・・・」
という感想に由来しているよう

平凡な主婦
仕事一筋の夫
モラトリアムでイマドキの大学生の息子
そんな息子と同棲し 彼を取り合うイマドキの彼女二人
息子とその家族を思い田舎から訪ねてきては
むげに追い返されぞんざいな扱いをうける心優しい祖母

一方
身内からの仕打ちで娼婦にされたなぞの美女
彼女の妹で まだ家族を信じている無垢な少女
娼婦を執拗に管理するマフィアの組織

二つの
まったく別の世界を生きる人たちが
一つの正義と良心をきっかけに
溶け合うように交錯していく

かの美輪明宏さんが言っていた
男性は女性ほど精神的に強くない代わりに
腕力が強いのだと

アイデア 機知 良心
向上心 実行力
そして勇気と愛情
もしもそういったものを持ちえる女性であるならば
もしもそういったものが全て
自分の中で結集する瞬間があったとしたなら
主婦であれ
娼婦であれ
老人であれ
少女であれ
ものすごいことができる
そんなことを感じられる映画

ラストシーン
美しい緑に囲まれ
海をみつめる
主婦 祖母 娼婦 娼婦の妹

その眼差しの強さに
最高の爽快感を感じる

前半はちょっとコワイ
悲劇的な娼婦の生い立ちもけっこうコワイ
それでも本当に
最後は気分爽快

なんとなく自分も
いろんな世界と繋がっている
そんな気持ちがじんわりと
小さな勇気に変わる






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